KENJA GLOBAL(賢者グローバル)

株式会社大日電子
杦本 日出夫

基礎の上にこそ新しい成長がある。

どんな事でも基本が大切だ。プロの仕事とは何か?一つの要望に関して、様々な提案が出来る事だと賢者は言う。そんな賢者が愛するのが音楽。その取り組み方にも仕事への想いが繋がっている。毎日少しずつでもいい、ゆっくりでも前に進む事がプロの仕事に繋がっている。

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PROFILE

賢者プロフィール

氏名 杦本 日出夫
会社名 株式会社大日電子
出身地 佐賀県
出生年 1953年
こだわり プロの仕事をする
趣味 楽器演奏
特技 サックス演奏
休日の過ごし方 テニス・吹奏楽団・ビッグバンドジャズ・オールディーズバンドの練習
座右の銘 座して待ってもチャンスは訪れない
心に残る本 20代で読んだペリーローダン著書火星探検小説
尊敬できる人 「向上心を持って継続している人」・「感謝と謙虚さ」を持っている人
現在の仕事の魅力と苦労 小さい企業でも、大企業と同じ立場で仕事ができることが魅力。大企業に勝る信用力を得ることが苦労。
日本を背負う若者へのメッセージ 「向上心を持った継続は自分力になる」一方「礼儀・思いやり・感謝・謙虚さ」を養って下さい。

HISTORY

賢者ヒストリー

  • 幼少〜学生時代

    1953年佐賀県伊万里市で出生。父の転職で幼少時代は海辺に沿った山あいの町西浜田で、毎日のように海釣りを楽しんだり、山すその小学校の校庭横の小川で魚を捕ったり、小さな竹竿のミミズを付けたウナギ針を引っ掛け、岩垣に差し込んでウナギを釣ったりした。小学校4年生の時に大阪市加島町に引っ越した。当初、方言の違いで学校では担任も含めみんなに馬鹿にされた。担任にリコーダで頭を叩かれた際に笛が折れ、代わりに先生の笛を渡され、折れたことを親に言うなと言われた。その担任が大嫌いだった。5年から担任が変わった。優しく厳しく接してくれた先生が好きで成績も途端に良くなった。中学1年生の時に母が胃ガンを患い、病気治療のため伊丹市へ引っ越した。吹奏楽部でミュージシャンのクラブを楽しんだ。部活を終え、学校帰り近くの市場に寄って魚を買い、病院のガスコンロで魚の煮付けを作って入院中の母に食べさせてあげ、喜んでもらった。修学旅行の直前、授業中に病院から呼び出され駆けつけた直後、母は息を引き取り、旅行は行かなかった。怒られたことの無い優しい母だった。

  • 社会人時代

    中学、高校とフォークソングに夢中になり、卒業しても就職せず、梅田の音楽喫茶田園や阪神百貨店などでフォークグループ「三つの矢」でラジオ番組、テレビ番組藤本義一司会「イレブンPM」などに出演。ライブ会場で現在の嫁と知り合い交際。交際をきっかけに才能の無い音楽の道を諦め、無線通信機器のメンテナンス会社でおやっさんとその息子が社長の日本電子工業に1名の社員として入社。がむしゃらに働き、生活費を稼いだ。一方、一流企業に勤める嫁の父に「どこの馬の骨」と罵られる。その父がこっそり中山奥の院で二人の運勢を占ってもらったら「60年に一度に有るか無いかの良縁、結婚するなら1日も早いほうがいい」と言われ、嫁は20歳、自分は19歳で親の承諾書をもらってのスピード婚となった。

  • 起業のきっかけ

    がむしゃらに働く一方、自分の友達を社員として誘い、社員が7名にまで増えた。現場で工事調整をしたあと、会社に帰って夜遅くまで遠隔放送装置の設計と製造をした。がむしゃらであった。右肩上がりの成長で売り上げも伸ばしていた。しかし、会社の経営者は計画性が無く、冬のボーナス支給時、会長が社長の代弁をし、儲かってないのでとチョコレートの箱詰めを手渡され「これで我慢してくれ」と言われた。嫁に渡すのが情けなくて、恥ずかしくて悔しい思いをした。そんな中、どら息子の社長はこんな状態と知りつつ、北新地に頻繁に通ったり、新しい車に買い換えるなど甘えたい放題であった。これでは改善が見られない。どうせ苦労するなら自分の失敗で苦労する方が納得できると27歳で独立を考えた。大半の資金を出した大沢氏(42歳)が社長で、お客を持っていた私は取締役部長として、なけ無しの150万円と車を持ち込んで大日電子を起業した。

  • 起業当初

    資本金850万円で起業した当初、経費を使わないように、大沢社長の地元である枚方公園駅近くの安アパート、2階で6畳と4畳半の畳間に事務机を並べた。発足当初は、日銭を稼ぐために無線の工事及び調整・メンテナンスをした。辞めた日本電子工業の得意先を回り、注文を取りにいったが、トラブルを嫌ってか二つ返事で注文は取れず、こそっと担当者が気を利かせて仕事をまわしてくれた。「目標は自社製品を作って売ること」だった。運良く、KBS京都放送局の開局で無線のリモコン17台とTV中継車のマスタ音声調整器の製作が舞い込んで打合せに行った。会議では大勢の技術者が集まっており、開局にあたり自分達の要望する装置を作りたいが大手企業では価格が高くて要望に応えてくれない。「大日電子で要望に応えてくれないか」といわれ小躍りした。後に聞いた話だが、発足したばかりの会社に重要な機器を依頼する担当者もここに頼んで間に合わなかったら大変なことになると緊張が走ったという。同放送局の当時の担当者から28年ぶりの便りが届き、今でも故障知らずで機能も見劣りしていませんと褒められた。

  • 今後の目標

    「もの創り・人創り・組織創りそして未来創りでスパイラルアップする」顧客の声を素直に聞く、ものづくりの原点は顧客の要求から生まれる。社員がプロとして自覚をもって働くところにする。社長が居ないとき、社員が自主的に仕事をしてくれること。社員一人一人が自分の役割、グループの役割において責任と権限をもって実行できるようにする。3年先、5年先、10年先の夢を語り、研究開発に取り組み、それを長期事業計画に落とし込み、毎年の事業計画で実行する。「他社と違う特徴で差別化し優位性を明確にする」構造設計、アナログ回路設計、高周波回路設計、デジタル制御設計では高機能CADとシミュレーションで試作期間の短縮と試作費用を低減する。SPROTEGシリーズのリリース。デジタル無線機の新規開発を3年計画で実施する。ユーザ開拓では関西電力だけではなく全国の電力事業者と直接契約を実現する。関西の鉄道事業者との契約数を増やす。趣味のサックス演奏とテニスはストレス解消と心の励みとなるので、練習に励みライブ活動を続ける。

COMPANY

会社概要

企業名 株式会社大日電子
所在地 大阪府吹田市江の木町12-27
業種 サービス - コンサルタント
設立 1981年
資本金 1000万円
従業員 25名(2011年4月現在)
事業内容 有線・無線電気通信機器の設計製造
URL http://www.dainichi-el.co.jp/
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