PROFILE
賢者プロフィール
氏名 | 島 正博 |
---|---|
会社名 | 株式会社島精機製作所 |
出身地 | 和歌山県 |
出生年 | 1937年 |
こだわり | 業界の活性化に資する世界初の創造 |
---|---|
趣味 | ゴルフ |
座右の銘 | 愛・創造・氣 |
現在の仕事の魅力と苦労 | 「未来に価値のある、今は世の中に無いものを自ら創りだす」を実現して、業界の発展に貢献できたことです。困難な壁が立ちはだかったときは、原点に戻ることで打開してきました。不可能を可能にする取り組みで、苦労と感じたことはありません。業界の発展が結果として社会貢献につながりますので、やりがいも大きいです。 |
日本を背負う若者へのメッセージ | 仕事を愛し、情熱を燃やし続けて新たな創造につなげてください。時間には限りがあります。若いみなさんが情熱を持って挑戦し、世界に貢献する日本を築いてくれることを期待しています。 |
HISTORY
賢者ヒストリー
8歳で終戦を迎えます。父親が戦死したために、一家の柱として祖父母や母、妹とともに焦土の中で生きていかなければなりませんでした。そのためにバラックの家を建て、開墾した土地で野菜を作り、近くの海でとった魚やエビを天ぷらにして販売していました。生活保護を受けながら、学校に通うなか、家の隣にあった手袋編機の修理工場を手伝い、モノをつくること、工夫することの楽しさを実感します。そこでの経験が現在の仕事に結びついていきます。家庭の都合もあって、進学先は県立の工業高校の定時制でした。
1962年、「株式会社島精機製作所」の代表取締役社長に就任し、現在までこの職にあります。手袋編機の全自動化を夢見ての創業でしたが、全自動手袋編機(角型)の完成を手始めに、全自動フルファッション衿編機、コンピュータ制御の横編機、デザインシステム、無縫製の横編機など、世界初の製品の創造に力を注いできました。図面を引くのはもちろんのこと、従業員と一緒に工場に立ち、油まみれになって部品を加工し、編機を組み立ててきました。
1956年に高校を卒業しました。19歳のときです。高校生のときに「ゴム入り安全手袋」の実用新案を出願していたこともあって、自分の創造した技術が社会の役に立つことの喜びを糧に、手袋編機の全自動化に向けた技術開発を重ねていきます。機が熟したと判断した1961年、会社設立を決意します。現在の会社の前身たる会社です。開発に取り組む傍ら、売上確保のために半自動装置の製造も手がけましたが、全自動手袋編機の開発にこだわる姿勢の違いから他の経営陣と袂を分かち、翌年に「株式会社島精機製作所」を新たにスタートさせました。
1962年、「株式会社島精機製作所」を興します。「全自動シームレス手袋編機」の開発を目標に掲げての起業でしたが、完成するのに1年余りを要しました。設計できるのは私一人であったこと、一度に多くの機能を追求しすぎたこと、部品の精度が安定していないこと等が主な要因でした。結果として、業界に安く、しかも安定して提供できないことがわかり、製造を打ち切ります。初代の「シームレス手袋編機」の軌道修正の後、新たな手袋編機の開発に着手しました。
「Ever Onward - 限りなき前進」が当社の経営理念です。現状に安住せず、固執せず、常に業界にイノベーションを起こせる製品を創造することが産業機械を製造する者の務めであると考えます。資源に乏しい日本にとって、モノづくりは生命線です。以前から繊維産業は「労働集約型産業」の典型と称されてきました。海外からの安価なニット製品に対抗するため、「知識集約型産業」への脱皮を図るためにも、弊社が提唱する「ホールガーメント(完全無縫製型編機)」を核にしたモノづくりを世界に広め、衣の文化をより豊かにしていこうと思い定めています。
COMPANY
会社概要
企業名 | 株式会社島精機製作所 |
---|---|
所在地 | 和歌山県和歌山市坂田85番地 |
業種 | サービス - コンサルタント |
設立 | 1962年 |
資本金 | 148億5,980万円(2015年3月現在) |
---|---|
従業員 | 1,443名 |
事業内容 | コンピュータ制御横編機、手袋・靴下編機、デザインシステム、アパレルCAD/CAM等の開発・製造・販売 |
URL | http://www.shimaseiki.co.jp/ |