PROFILE
賢者プロフィール
氏名 | 橘髙 勝人 |
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会社名 | 株式会社キツタカ |
出身地 | 東京都 |
出生年 | 1958年 |
趣味 | スキューバーダイビング |
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特技 | 沖縄三線 |
休日の過ごし方 | 海に行く |
座右の銘 | 「常に謙虚でいる事」 |
心に残る本 | 『心を高める経営を伸ばす』(稲盛和夫) |
現在の仕事の魅力と苦労 | 年々、減少していく畳産業ではありますが、その中でいろいろな新しい商品を開発し多くのお客様に喜びと感動を味わっていただくことに魅力を感じ、自己のモチベーションを高めていっております。ただ、自分一人だけが理想を追い求め走りすぎないよう、社員全員と一緒にその魅力を共有していきたいと思います。 |
日本を背負う若者へのメッセージ | さまざまな文化は便利さを追求し、昔ながらの良い部分は忘れ去られつつある現代に一抹の不安と心配を覚えます。ですが、これからの時代を生き抜いていく皆さんには、大切にしていって欲しい守るべきものを見出していただけたら、と願っています。 |
HISTORY
賢者ヒストリー
父が畳屋を営んでおり、長男の私は畳屋になるつもりはありませんでした。私の家には14畳ほどのコンクリートの土間があり、7坪の作業場で畳職人の父が職人を一人使い、一日に6枚から10枚の畳を縫い上げて納めていました。畳屋のイメージは暗いし、汚いし、やりたくない商売で父の後は継ぎたくないと私は思っており、父も「自分で畳屋は終わりでいい、先行き畳屋なんてやっても大して伸びはしない」と言ってました。なので、私は医者を目指して大学受験のために一生懸命勉強をしていました。高校三年生の夏休みに、父が脳梗塞で倒れました。一命は取り留めましたが、右半身不随、言語障害になり、仕事は二度とできなくなりました。家業は母が軽トラックを運転して職人を現場に連れていきましたが、父の看病もあり、家中で協力していきました。私も医学部進学という大きな目標を断念せざるをえなくなりました。
まず、運転免許を取り、父の後を継ぐために家業を少しずつ覚えていくことになりました。また、この家は私がいなければと成り立っていませんでしたので、「一刻も早く仕事を覚えなくては・・・」と、父の縫った畳の意図の形跡を見ながら、同じ仕上がりを目指すというところから始めました。一生懸命仕事を覚え、自分で畳を縫って納品することができるようになったころ、軽トラックで畳6枚を引き揚げる途中、環状8号線沿いの大きい新築マンションに4トントラックに畳が何百枚も満載された光景に出くわし、いつかはこういう大きいトラックで大きい現場に納品をしてみたいと思うようになりました。
ある時、大手ゼネコンによるマンション建設予定地を見かけることがありました。近くにプレハブ事務所があったので、畳を納めた帰りにその事務所に赴き、「ここの畳をやらせてください」とお願いをしました。しばらくすると恰幅の良い現場の副所長が出てこられて、私の名刺をみて「当社は法人でないと直接取引できないのだよ」と言ったのでした。大きい現場とタイアップするには法人にしなければならないことにこの時気が付き、帰りの車のなかでは「早く法人にしよう、会社にしよう」という気持ちでいっぱいになりました。
周りの協力もあり法人化を実現させ、少しずつ仕事の規模を拡大しながら、飛び回って営業をするようになりました。ある時、畳3000枚という仕事をとることができ、これまでの作業場では足らず、農地にプレハブ建ての工場を建て、量産体制で対応していきました。その甲斐あって、とうとう4トン車に畳を満載して現場に納めるという仕事が取れるようになりました。
畳や襖だけの商品に固執することなく、地球温暖化まで考えたリフォームを事業として組み込んでいきたいと考えています。私たちにしかやれない事をやっていくことで、キツタカはこれからも変化と進歩をしていけると思っています。
COMPANY
会社概要
企業名 | 株式会社キツタカ |
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所在地 | 東京都大田区南蒲田2-16-2 テクノポート三井生命ビル11F |
業種 | 建設 |
教育・学習支援業 - その他 | |
設立 | 1984年 |
資本金 | 9,000万円 |
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従業員 | 320名(2011年2月現在) |
事業内容 | 畳事業、襖事業、障子事業、網戸事業、内装工事全般、住宅建材販売施工、リサイクル事業、産業廃棄物処分業 |
URL | http://www.kitsutaka.co.jp/ |