PROFILE
賢者プロフィール
氏名 | 西川 光昭 |
---|---|
会社名 | 東日印刷株式会社 |
出身地 | 広島県 |
出生年 | 1958年 |
こだわり | 温かい合理主義 |
---|---|
趣味 | 野球観戦(広島カープ) |
特技 | 将棋(初段) |
休日の過ごし方 | 孫と遊ぶ、歴史探訪、読書 |
座右の銘 | ピンチはチャンス |
好きな食べ物 | ウニ、イクラ |
尊敬できる人 | 司馬遷、平賀源内 |
HISTORY
賢者ヒストリー
小学生のころ、「ある勇気の記録」というテレビドラマが放映されていました。地元・広島を舞台にしたノンフィクションで、中国新聞の記者たちが暴力追放キャンペーンを始め、暴力団抗争に敢然と立ち向かった姿を描いていたのですが、菊池寛賞を受賞した原作も読み、ペンの力に感動しました。一方、大学時代、同じ抗争を暴力団側から描いた映画「仁義なき戦い」を観ました。もちろん反社会的勢力の理屈は肯定しませんが、立場によって見える風景が大きく違うことに驚きました。物事は複眼で見なければ、実態に迫れないと感じました。
新聞記者として主に事件を担当していました。神戸支局で兵庫県警を担当していた1984年、グリコ・森永事件が起き、東京社会部時代の1995年には、オウム真理教事件で取材班キャップを務めました。どちらも1年以上寝る暇もない取材漬けの生活を送ることとなりましたが、日本中の注目を集めた大型事件を取材出来たことは記者として幸運だったと思います。「事件」は小説より奇なり。世間の想像を超える事件は社会を変えました。グリコ事件は劇場型犯罪と呼ばれ、情報自体が世の中を揺さぶることになり、地下鉄サリンを起こしたオウム事件は、戦後の平和幻想を打ち破りました。人の心の変化や社会の変動を理解するうえで役立ちました。
2017年以降、武田芳明社長(現会長)を補佐して経営計画を立案し、事業の多角化に注力していました。2024年にこれまでの経営方針を引き継いで社長に就任。就任当初から、自社の進むべき方向をはっきり示すことに注意を払いました。既存の新聞事業は縮小・撤退するのではなく、スケールメリットと技術力を活かして維持・発展させ、一方、名刺管理アプリや布製電照看板などの新規事業はヒト、モノ、カネの資源を集中し、スピードアップして成長させました。役員・社員が同じ目標に向かって協力出来る意識づくりを図りました。
当社の強みは社員力です。その社員力を発揮出来る環境をつくることに注力しています。当社にはインド工科大卒のITエンジニアやモスクワ大卒など日英露語が話せるロシア人社員など国際的な高度人材が活躍しています。一方で日本人社員は向上心にあふれ、印刷、編集制作だけなく、Web制作、宅建士、カメラマン、似顔絵作家など多彩な人材がいるので、その能力を活かし、お互いに協力して、各事業を発展させるかが企業成長のかぎになっています。士気を上げるため、東日グループ表彰、各役員賞、提案表彰など、表彰制度を重視しています。また役員・社員の懇親の機会を増やし、社内コミュニケーションを図っています。
新聞事業は、印刷や編集・制作の効率化を図っている日刊紙、専門紙の業務を支援し、共に新聞文化を守りたいと思っています。新規事業のうち、順調に成長している不動産、デジタル、ロケ撮影支援、布製電照看板、ネット通販――の5事業を「次世代事業」と位置づけ、当社の資源を集中して急成長を図っていきたいと思います。特にデジタル事業の名刺管理アプリ「Tonichi NEXTa Meishi(ネスクタ・メイシ)」は大手2社に追随する評価を得ており、当社の将来を託せる商品と認識しています。
「失われた30年」と言われ、日本は経済的に失速しました。一方で、この間も国内の平和は維持され、アニメなど世界に影響を与えている分野もあります。若者の人材も決して他国に劣らないと思っています。ピンチは変革のチャンスでもあります。その第一歩として、乱れ飛ぶ情報を見分ける「知的基礎体力」をつけてほしいです。
COMPANY
会社概要
企業名 | 東日印刷株式会社 |
---|---|
所在地 | 東京都江東区越中島2-1-30 |
業種 | 製造 |
情報通信 - ソフトウェア | |
不動産 - 不動産取引 | |
設立 | 1952年 |
資本金 | 1億円 |
---|---|
従業員 | 314名(2025年6月 現在) |
事業内容 | 基盤事業:新聞編集制作・印刷。新規事業:不動産取引業、デジタル事業(名刺管理アプリ開発運営)、ロケ地提供事業、ネット通販、布製電照看板製作販売 |
URL | https://tonichi-printing.co.jp/ |