PROFILE
賢者プロフィール
氏名 | 森井 三郎 |
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会社名 | エヌ・ディー・アール株式会社 |
出身地 | 島根県 |
出生年 | 1949年 |
こだわり | 豊かな感性、平常心 |
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趣味 | 読書 |
特技 | 水泳 |
休日の過ごし方 | 休息 |
座右の銘 | 人生二度なし |
心に残る本 | 『発想の転換』糸川英夫 |
尊敬できる人 | 西郷 隆盛、渋沢 栄一 |
現在の仕事の魅力と苦労 | IT分野は領域が広く、特に専門分野や特化型の開発は永遠に続きます。持続的に挑戦力のある人材を育成することが最大の課題です。 |
日本を背負う若者へのメッセージ | 文明が変わろうとしています。誰でも挑戦者への道は平等に与えられています。切り拓いていくのは貴方自身です。 |
HISTORY
賢者ヒストリー
神々の国・島根。島根半島の小さな漁村に生まれ、里山や日本海の自然や地域の人々と、春夏秋冬の触合いにより成長することに恵まれました。成長につれ観察心、好奇心に駆られ、特に自然との対話が目覚め、荒海を見ると挑戦心がみなぎる様にになってきて、自らが七つの海を目指す心も、親離れであったと思います。その後、船員として上級乗務員を目指し無線通信を学び更に東京を目指しました。
無線通信士の上級資格を狙い就職したものの、有線通信技術(電話交換システム)にはまり、企業・社会・人々にはまり、楽しく充実した日々でもありました。国内外への出張も頻繁になり、アフリカにも行くことにもなりました。アフリカでのカルチャーショックは、私の「世の為人の為」という人生観を変えました。
アフリカを見ることにより、人の生活の意義とは、仕事や個人環境に納得して、楽しく生甲斐をもって働かなければなりません。日本の若者にも、新分野の仕事が出来る会社を起業しなければなりません。私は通信で10年以上充実して来たので、これからは通信で起業をして、社会に恩返しすることを決断しました。
通信で起業をする。ニーズは何か?その時機、ハイテク商品が海外に輸出されるようになったが、説明書不備で日本ハイテク商品の危機が海外顧客で指摘され始めました。海外取引で従来はモノが売れれば良いのでありました。これからの商品開発はハードからソフトへ進み、家電と違い表情が無い、操作性も見えない、箱や石の様な無機質なものであり、説明書が充実しないと商品が売れないことと判断しました。米国では説明書がドキュメンティーション(契約書類)とされ、説明書以外に社会、地域、民族、責任・契約など演劇映画制作のように各専門家スタッフによる制作体制を確立しなければなりませんでした。この様な日本商品の危機的状況下で、巷ではドキュメントの言葉も知らないときに、前身のNDR(日本ドキュメントリサーチ)を創業し、日本のドキュメントの先駆けとして礎作りに、多数の皆様の中で微力ながら貢献できたことが私の創業期の自慢のひとつです。創業から5年(90年代)に入り、「バブル崩壊」となり、株価は急落し、金融、産業、経済、人心と日本は暗黒の世を宣言されました。幸いにも当社は、通信インフラの痛手においては浅く通り抜けたように思えましたが、「通信崩壊」の文字が紙面を走りました。既存通信インフラの製造中止をして、新しくIP通信に全土を再構築と言うことでありました。が、IP通信は輸入することになるので、業界、日本経済はドミノ倒しの連鎖で大混乱することになりました。混迷する日本がありながら、海外からもITバブルの崩壊、リーマンショック、東アジアの台頭。そして二度の目の大震災など「失われた20年」と囁かれました。当社も打撃を受けながらも新通信インフラ(IP、携帯等)に移行でき事無きを得ることになりました。
社業の一方、20年前から交流会、勉強会、地域振興、地域貢献などに参加し、現在は様々な分野で役員として重責を担い、活性化・普及・振興・育成などに尽力しています。国際化、情報化、多様化などの課題が益々複雑多義に渡り、国内外政治・組織・経済・行動・心理など様々を啓蒙啓発し、更に社業に反映していきたいです。現在はアベノミクス効果を期待して、携帯ネットワーク、マイナンバー、システム高度化等の関連事業が活発化しています。
COMPANY
会社概要
企業名 | エヌ・ディー・アール株式会社 |
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所在地 | 東京都渋谷区恵比寿西1-18-3 |
業種 | 情報通信 - ソフトウェア |
設立 | 1988年 |
資本金 | 1,000万円(2015年6月現在) |
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従業員 | 150名(2015年6月現在) |
事業内容 | SW/NW/DW&SI事業、ソフトウェア開発と関連事業 |
URL | http://www.ndr.ne.jp |