KENJA GLOBAL(賢者グローバル)

株式会社中島田鉄工所中島田正宏

夢を諦めた覚悟

株式会社中島田鉄工所 中島田正宏
この映像・情報は 2015年9月 当時のものです

内容

幼少期は車が好きな少年。夢を追いかけ続けてついには自動車のデザイナーになった。そんなとき、家業が危機という知らせ。子供の頃からの夢を諦めるか?家業を助ける事を選ぶか?究極の選択を迫られた賢者の決断とは?

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男性 1960年代生まれ 九州地方の会社 継承 モノづくり

株式会社中島田鉄工所

高い技術力により、高品質な製品を生み出す中島田鉄工所。社員一丸となって進む会社の目指すものとは?

氏名 中島田 正宏
会社名 株式会社中島田鉄工所
出身地 福岡県
出生年 1968年
こだわり 妥協しないモノ作り
趣味 自動車全般
特技 クルマならそこそこなんでも空描きできます(笑)
休日の過ごし方 可能な限り家族と過ごす
座右の銘 筋を通す
心に残る本 『吉田松陰「人を動かす天才」の言葉』楠戸義昭
尊敬できる人 Giorgetto Giugiaro、Sergio Pininfarina
現在の仕事の魅力と苦労 当社が表舞台に出ることは皆無だが、機械、金型は世界中で使用されている。当社技術から生まれた製品を街中で見かけるようになるとやはり楽しい。一方、約3割の成功率を継続的に維持することさえ、実は相当厳しい。
日本を背負う若者へのメッセージ まずは自分がやりたいことを自分自身で決心し、そのことに全力で打ち込み、決してあきらめないこと。結果には自分で責任を持つ覚悟で臨むこと。見分を広げるためにいろいろな世界を見ることも大切ですが、ひとつのことを継続して探究するからこそ広がる大きな世界があると思います。
幼少~学生時代 幼少時から自動車だけに興味を示す子供でした。中学生の時には自動車デザイナーを本気で夢見るようになっており、地元の県立高校に進学後もその思いはますます増幅。もはやその目標達成のために必要な人生のプロセスしか考えなくなりました。80年代、日本の自動車技術は目覚ましい発展を遂げていましたが、自動車デザイン業界で「優秀」とされる学校も講師もまだまだ海外に多いことを知りました。そのため、自動車に対する知識、デザインの勉強とともに、語学力も必要不可欠であると思い立ち、まずは高校3年時に交換留学生として渡米。結果的にその後イリノイ大学工業デザイン科に進学、92年に卒業しました。当時、留学自体まだ珍しく、なぜ渡米する気になったのかと今でもよく聞かれますが、自分にとっては単に好きなことを追い求めただけでした。しかし、今考えると、幼少から好きなことがあったのは本当に幸運だったと思います。
社会人時代 本来であればそのままアメリカに滞在したかったのですが、当時アメリカは大不況のど真ん中、翻って日本はバブル時代は終焉しつつ、その後に「失われた10年」を迎えるとは誰も予想していない時期でした。結果、国内の大手自動車メーカーに就職、晴れて社会人としての人生がスタートしました。「学生と違い、社会人は厳しい!」と覚悟していましたが、誤解を恐れずに言えば、卒業率13%であったアメリカでの大学生活の方が格段にシビアでした。大好きな自動車のことを毎日毎日考えていればいい。その上、道具はほとんど全て会社が準備してくれ、さらに自動的にお給料さえ頂ける。自分にとっては『天職』そのものでした。その時代に、4輪駆動車のデザイン調査を命ぜられ、最大の市場である中東に何度も出張しました。生活環境、考え方の違いがいかに市場性に影響するかを思い知らされることになり、本当に素晴らしい経験になりました。
就任のきっかけ 27歳の時に、実家から「跡継ぎ」の話が出た時は非常に悩みました。継承順序上、自分にはまず来ないはずだと思って生きていましたし、前述のとおりカーデザインは天職だと感じていました。また、これから先もデザインという仕事をする上で、今後どういうキャリアを積むべきかを真剣に考えていた矢先でもありました。正直なところ、自分にとってそこに「家業継承」という選択肢は全くありませんでした。しかし、一方でバブル崩壊後という時勢、実家が経営する中島田鉄工所も相当に厳しいことは痛いほど理解していました。あまりに膨大な借入金のことを聞かされ、相当怯んだのも事実です。エンジンの構造に似たプレス機械に対する抵抗感はありませんでしたが、かといって本格的に機械技術や経営を学んだわけでもありません。結果、半年以上悩み抜き、家業復活のためにデザイン業を「一時休憩」しようと思って入社しました。非常に消極的なきっかけですが、これが事実です。。、本当に社員がよくついてきてくれました。おかげさまで当時に比べれば経営基盤も強化できました。社員とお客様には本当に感謝の気持ちで一杯です。よりよい状態を作り上げつつ、これからは私も次の世代へのバトンタッチを真剣に考える必要があると思っています。
就任当初 それまで、勢いで買った中古車のローンが最大の負担だった絵描きが、突如その1000倍の借金を背負ったと想像頂けると当時私が直面した現実に近いと思います。なぜそこまでの決心がついたか、実はいまだによく分かりません。事態の深刻さを知りつつも『自覚』していなかったことや「若気の至り」はあったと思います。ただ、当時創立85年を迎える家業がそれまでの自分の人生を支えてくれていたということに対する恩返しという気持ちも少なからずありました。しかし、本当の地獄は入社後に始まりました。台所事情は火の車どころかすでに大火事な一方、驚いたことに社員には危機感がゼロなのです。経済的にも生活環境の面でもメンタリティの面でも、それまで自分が住んでいた世界とは180度違う現実がありました。大げさではなく、絶望感と無力感と焦燥感と危機感しかない毎日に、当時は必死で耐えていたと思います。
今後の目標 入社から約20年、最初は「自動車デザインを一旦休憩して…」という気持ちでしたが、気が付いてみるとすでにこの業界にすっかり入り込んでいます。しかし、おかげさまで今のところは経営基盤も人並みに強化することができたのではないかと思えるレベルにはなりましたし、リーマンショックをはじめとする幾度かの危機を乗り越え、売上げ、利益とも確保し続けています。また昨年度はいよいよ父の株を全て継承し、世代交代を完遂しました。右も左もわからず、それでも我儘ばかりを言う私に、本当に社員がよくついてきてくれました。これからはさらに新しい技術開発に注力しつつ、海外の販売基盤を強化させながらも「日本製」に拘った機械づくりを進めることで、社会に役立つ会社に発展させたいと思っています。また、家業から企業への転換をしっかりと図り、次の世代にバトンタッチする準備も、私に課せられた重要な責任だと考えています。
企業名 株式会社中島田鉄工所
所在地 福岡県八女郡広川町大字日吉1164-4
業種 サービス - コンサルタント
設立 1911年
資本金 45,000,000円(2015年8月現在)
従業員 137名(2015年8月現在)
事業内容 ファスナー、金属パーツ生産用の圧造機械(プレス機械)、金型の開発、製造、および販売。
URL http://www.nakashimada.co.jp/