PROFILE
賢者プロフィール
氏名 | 鈴木 喬 |
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会社名 | エステー株式会社 |
出身地 | 東京都 |
出生年 | 1935年 |
こだわり | 負けることは大嫌い |
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趣味 | 水泳、山歩き |
特技 | 数学、統計学 |
休日の過ごし方 | お店まわり |
座右の銘 | 運と勘と度胸 |
心に残る本 | 『君主論』マキアヴェッリ、『戦略の本質』野中郁次郎・戸部良一他 |
尊敬できる人 | 勝海舟 |
現在の仕事の魅力と苦労 | 世界の名だたる会社と競争している緊張感が魅力です。 |
日本を背負う若者へのメッセージ | 仕事をしている上では「命までは取られない」ので、 思い切ってチャレンジして欲しいと思います。 |
HISTORY
賢者ヒストリー
幼少の頃は、戦後の暗い時代なので語ることは多くありません。学校は嫌いで、甲府に疎開していたときも学校でいじめられていました。それでも人懐こい性格でした。父が日用雑貨の現金卸をしていたので、手伝いとしてガラスひろいや物集めをしていました。私のビジネスマンとしての原体験は、ここにあると思っています。子どもの頃に学んだのは、どこにいても食べられるということです。どん底を知っているので、開き直りができるという事ですね。ですから、仕事は常に勝ち取るもの、悔しかったらはい上がれと従業員には言っています。
最初に入社したのは日本生命でした。就職する際、父に相談したところ「日本という名が付いている会社ならつぶれない」と言わました。ここでは調査畑が長かったので、調査と情報にはこだわっています。ただし、情報はすぐに信じず、必ず自分で聞いて確認するようにしています。数字や法務、財務などさまざまな経験を積んだ事で、「企業を見る目」が養われました。その後、上司を口説いて団体保険をやりはじめました。当時、新日鉄をはじめ、大手企業に保険を売り込んでいました。有価証券報告書などで相手の困っていることを徹底的に調査した上で営業したことが先方の心を打ち、ギネスブック級の販売実績をあげました。今でも率先してトップセールスを実践しているほど、この営業には思い入れがあります。
1985年50歳にして、エステー化学(当時)に出向しました。翌86年には転籍し、取締役企画部長に就任。91年には念願の東証一部上場を果たしました。創業家でありましたが、なかなか社長になれませんでした。90年代後半、バブル崩壊とともに株価は急落しました。このままでは会社は危ないと思っていましたので、それまでの成長神話とともに歩んできた拡大路線を突き崩し、この危機を乗り越えるために、1998年63歳で社長に就任しました。
会社の立て直しを託され、就任当初から「新商品を開発せよ」という命題の元、動きました。「消臭ポット」や「脱臭炭」、「消臭力」など連続的に出した商品が博打的にヒットをし、株価も2350円まで上昇していきました。2007年に一度会長に退きましたが、リーマンショック以降の危機に対応するため、2009年4月、社長に復帰しました。まず行ったのは、「STR」という現場の底上げからです。営業とバイヤー役のロールプレイングを行ったり、お客様との関係修復、社内関係の修復を改革することにより、STR指導から2年後には過去最高の売り上げを達成することが出来ました。私も非常に反省しているのですが、社員たちはきっと、人間としてのコミュニケーションに飢えていたのかもしれません。業績を重視するあまり、「人」の存在を忘れていたのかもしれません。ここを強化することにより、現状のエステーとなりました。そして、2012年4月に再び会長職に就任しました。
私どもエステーの企業スローガンは「空気をかえよう」です。常に新しいことにチャレンジして、家庭やお店の空気、それだけではなく、社会の空気までも変えていきたい、という大きな思いが込められています。こうしたエステーを率いる社長としては、会社を楽しくする責任と義務があると思っています。株価、売上、利益、シェアも重要ですが、それだけでは不十分です。社員があり、それ以上にお客様があり、そしてひよこのブランドが愛されて、少しナイーブかもしれませんが、そういうことがないと会社を永続的に成長させることはできないと考えています。
COMPANY
会社概要
企業名 | エステー株式会社 |
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所在地 | 東京都新宿区下落合1-4-10 |
業種 | サービス - コンサルタント |
設立 | 1948年 |
資本金 | 70億6550万円 |
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従業員 | 連結948名 / 単体435名(パートタイマー、嘱託を除く) |
事業内容 | 防虫剤・除湿剤製品等の製造・販売 |
URL | http://www.st-c.co.jp/ |