KENJA GLOBAL(賢者グローバル)

西村スポーツアパレル株式会社
西村 紀子

人との繋がりが
アイデアをもたらす

昭和22年の創業以来、全国の学校、クラブチームなどにスポーツウェアを提供してきた西村スポーツアパレル。1964年の東京五輪ではサッカー日本代表のユニフォームを手がけた。バブル景気以降、少子化や景気後退と経営環境は冴えないが、賢者は人との繋がりを大事にすることで新商品の開発に活かすなど、会社に新たな展開をもたらす。

SHARE

PROFILE

賢者プロフィール

氏名 西村 紀子
会社名 西村スポーツアパレル株式会社
出身地 東京都
出生年 1972年
こだわり 人との出会いを大切にする
趣味 声楽、色々な人とお酒を飲みながら歓談
特技 声楽
休日の過ごし方 町会、育成委員会、消防団等に参加
座右の銘 失敗を恐れず挑戦を!
好きな食べ物 もんじゃ、餃子、お寿司、肉
尊敬できる人 今まで出会った人

HISTORY

賢者ヒストリー

  • 幼少期~学生時代

    当時は実家と会社が繋がっている形でしたので、学校から帰ってくると社員さんが仕事をしていてお出迎えをしてくれていました。またよく仕事場の裁断機などで遊んでいて母に怒られていました。3人兄妹の末っ子で、兄姉と比べると一番やんちゃだったと思います。中学、高校と女子校に進み、大学は音楽をやっていたこともあり、好きな道を歩みたいという思いで声楽科に進みました。声楽をしていたから、人が好きになり、人とのご縁を大切にする原点になったと思います。

  • 社会人時代

    大学生時代にブライダルでアルバイトをしていて、楽しかったので興味を持ち、自分の好きな道を進んでいきたいとブライダルの道に進みました。ちょうどこのころにバブルが弾けたころで、入社した会社が半年で倒産してしまいました。ただブライダル関係が好きでブライダルの仕事に関わっていたいと思い、ブライダルヘアを多く担当する美容室で子供ができるまで事務として働いていました。

  • 就任のきっかけとその当時

    中学の頃から学校の制服や、体操服販売には一緒に行き手伝いをしていましたが、最初は全く家業を継ぐなんて考えていませんでした。子供が生まれて美容室を辞めてから、アルバイト的な形で少しづつ会社の手伝いをするようになっていました。父が会長になり、年を重ねる中で業績も伸び悩んでいたので、会社をたたむか会長を辞めたいとなったときに、今会社をたたんでしまうと今までお世話になった社員さん達もいるのでそこを守らないといけないし、それは自分がやらないといけないなと思い会社を継ぐことを決意しました。

  • 現在の事業

    業界全体として、昔は何を作っても売れる時代だったのが、今は何が売れるのかを考えなくてはいけない時代になってきたので、人と人の付き合いの中で、何かきっかけを見つけることができるかもしれないと思い、経営者になってから今まで、特に人と人のつながりを大切にするようになりました。今はまだ苦しい状況を脱したという訳ではないですが、そこばかりに目を向けてしまうと自分自身の気持ちも落ちていってしまうので、自分のモチベーションを上げるという意味でも、人との関わりや繋がり、ご縁を大切にしています。

  • 今後の展望

    今後の目標として大きなものはないですが、人と出会って関係が繋がることによって、これだったらこの人に頼んだらいいなであったり、あの人であればこれお願いできるなというさらなるご縁の輪に繋がっていくと思っています。大きくはないですが、地域の人と繋がっていたからこそ頂けたお仕事もありますし、自分が困ったときに助けてもらった経験もあります。だからこそ自分が人と付き合うのが好きということもあり、これからもその人とのご縁を紡いで行きたいと思っています。

  • 若者へのメッセージ

    失敗を恐れずに後悔のない人生を送ってください。そして人との出会いを大切にしてください。無駄なことはありません。今苦しいこと、大変なこと、楽しいこと、全ての経験が必ず将来の自分の助けになります。だからこそ、自分の一つ一つの選択を大切にして目の前のことに向かっていってほしいです。その中で出会う人と人との出会いを大切にしていけば自然と後悔のない人生に繋がっていくと思います。

COMPANY

会社概要

企業名 西村スポーツアパレル株式会社
所在地 東京都墨田区向島3-41-3
業種 卸売・小売
その他
設立 1965年
資本金 1,500万円
従業員 25名(研修生含む)
事業内容 スポーツゲームウエアの企画、製造、卸、販売
URL https://www.nisimura.biz/
{

RELATED MOVIES

関連動画