PROFILE
賢者プロフィール
氏名 | 井上 元 |
---|---|
会社名 | 株式会社綜合設計 |
出身地 | 岡山県 |
出生年 | 1948年 |
趣味 | 旅行、農業 |
---|---|
特技 | 資格取得 |
休日の過ごし方 | 草刈り |
座右の銘 | 知行合一 |
好きな食べ物 | 納豆、ヨーグルト以外 |
尊敬できる人 | 村野藤吾、フランクロイド・ライト、ミース・ファンデア・ローエ |
HISTORY
賢者ヒストリー
小学生の時は、家が農業で貧乏のため学校から帰ると農業の手伝いをして、野菜や果物を作っていました。日が暮れて暗くなると父が帰って勉強しても良いと言われていました。また食料確保のための魚釣りや畑、果樹園荒らしもしていました。勉強の成績は中の上くらいだったと思います。また、小学4年生から柔道教室に通いだしました。給食がなくなったので、学校へ弁当持参になったのですが、弁当泥棒がいたので、取られないように日々管理していました。また、他の中学の同じ年の間で団体戦の喧嘩があったので、護身のために、小刀を作って持ち歩いていました。この頃の勉強は上の下くらいでした。また、農業土木科の高校に進学するために橋、川の設計、測量を勉強しました。見事入学して柔道部にも入部しましたが、骨折して1年で退部になりました。勉強は2番まで上って、その時に大学進学をにを決心しました。当時の高校から大学へ行った生徒は2名のみだったそうです。大学に進学してからは学園紛争の真っただ中におりました。そのため荒れてはいましたが、建築学科は閉鎖されてなかったので、勉強することは出来ました。同時に同級生の友達が全国から来ていたので友人もたくさん出来ました。大学での成績は中の上くらいであったと記憶しています。
昭和45年の4月に翼建築設計事務所(大阪市) に入社しました。高度経済成長時代のため、建築設計の仕事は非常に多かったです。そのため2日に1回寝れていたような状況でした、それが祟ったのか2年に1度は体を壊すようになり、入院生活で回復していたような状態でした。しかし、そのおかげで設計者としての成長は非常に早かったです。現在の社員と比較すると1年に対し3年~5年の差があるように思います。現在は設計技術力の取得に時間がかかる時代となったようにも感じます。昭和51年の1月に岡山県経済農業協同組合連合会に入会し、28歳で設計センター管理建築士となりました。それからは県下の農業施設の設計・管理業務を行いました。
昭和55年6月16日に株式会社綜合設計を創立し、代表取締役に就任致しました。大阪・京都から岡山に帰ってきた時から、2年くらいで独立する予定でしたが、岡山県経済連に管理建築士となれる建築士が居なかったため、それまで待ってから独立しました。当時は仕事が無いために欠陥住宅の検査を2年くらいしておりました。100件~150件は扱いました。その後、補償コンサルタント業務、建築設計業務を始めて行きました。
社員育成教育に一番力を入れております。昨今は人件不足が一番の問題です。そのため、将来の建築設計を担う若者が段々といなくなる状況となっています。またそれに伴い、設計の質の低下が起こっています。会社としては特に人材を育てて行く事を考えています。以前に教育する学校を作っていましたが、そういった施設もまた必要なのかもしれないと考えています。
業務においては、建築設計を中心に土木設計、設備設計、構造設計、工事管理業務、不動産開発業務等。関連する業務を全て可能な会社にしなければならないと考えています。また、目標は2代目社長にスムーズに継いでいければ良いと思ってます。また最後に、社屋建設が目標となります。
会社は社員の努力で成長発展していきます。設計力、技術力が無いと会社も個人も成長しません。会社の中に有って色々な力をつけて、将来の自分を創っていただきたいと思っています。「知行合一」という陽明学の教えがあります。知識があっても行動が伴わないと知識が無いのと同じであり、又考え不足で行動に移すと目的にたどり着かないので、行動した事にならないという考えかたです。若い力は無限の可能性はありますが、使わないと可能性は無いに等しい事になります。
COMPANY
会社概要
企業名 | 株式会社綜合設計 |
---|---|
所在地 | 岡山県岡山市北区今保185-8 |
業種 | 建設 |
サービス - 専門サービス | |
設立 | 1980年 |
資本金 | 5700万円 |
---|---|
従業員 | 11名 |
事業内容 | 建築設計・工事監理 土木設計 補償コンサルタント 行政書士事務所 |
URL | http://www.sougou-sekkei.com |