PROFILE
賢者プロフィール
氏名 | 治山 正史 |
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会社名 | はるやま商事株式会社 |
出身地 | 岡山県 |
出生年 | 1964年 |
こだわり | カレー、ラーメン、絵葉書、商売 |
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趣味 | ゴルフ、読書 |
特技 | 乱読、広く浅い知識 |
休日の過ごし方 | 読書、テレビ、家族サービス、戦略を練る事 |
座右の銘 | 「明鏡止水」 |
心に残る本 | 『シゲマツ先生の学問のすすめ』重松清、『トットちゃんとトットちゃんたち』黒柳徹子、『永遠の0』百田尚樹 |
尊敬できる人 | 父、秋山好古、坂本龍馬、マザーテレサ、リークアンユー、上杉鷹山 |
現在の仕事の魅力と苦労 | 魅力は衣食住にかかわるマーケットとポテンシャルの高さ、結果がすぐにわかることです。ただ、コミュニケーションの差別化には苦労をしますね。 |
日本を背負う若者へのメッセージ | 日本を好きになってほしいし、日本を誇りに思ってほしいですね。野心を持って進んでいってほしいと思います。 |
HISTORY
賢者ヒストリー
小学校時代はガキ大将・いたずらっ子でした。名前は正史。由来は「正しい歴史(をつくる。)」といったとことです。小さいころから常に、歴史に名を残せと言われて育てられてきました。野心家であり、楽天家の土壌ができたのもこのころです。「虎は死して皮を留め、人は死して名を残す。」という言葉を意識していました。小学校の時の卒業文集には「ノーベル賞をとりたい。」と書いていました。高校卒業と同時に母が亡くなりました。地元の大学に進学した後、再受験で東京の立教大学に転入。学生時代は映画研究会とゴルフに取り組んでいました。仕送りはゼロ。いろんなバイトをしていました。当時はバブルだったので、いろんな経験ができたと思っています。
大学卒業後伊藤忠商事に入社しました。1989年、バブル期のど真ん中で配属されたのは、繊維部門でした。東南アジアで物を作り、日本に輸出していました。その後、1991年にNYに駐在。東南アジアでモノづくり、アメリカのアパレルを経験し、公私にわたって非常に楽しい日々を過ごすことができました。1994年に帰国後、はるやま商事に入社。商品部係長、社長室長、常務、社長。入社後すぐに店で売り子、更に大阪証券取引所に上場最終段階に参加。その後東証2部、東証1部の上場にすべてに携わりました。その間、若者向けPSFAの立ち上げも行いました。北京オリンピックの公式パートナーとして、制服を作り、2つのM&Aを成功。一方新規事業をやるものの(うどん、雑貨屋、業務用スーパー、ネットカフェなど)ことごとく失敗。レディースも本格参入したのもこのころです。新商品を常に出し続けました。2011になり、海外進出の為に準備を開始。試行錯誤を繰り返しながら、常に前に走り続けています。
子供のころから実力がないと社長にはしないと言われ続けてきました。なぜなら従業員そしてそのご家族、取引先などが路頭に迷うからです。自分なりに実力をつけてきたつもりです。就任のきっかけは東証1部上場でした。そして創業50周年の節目の年を向かえます。
十分できるかなと思っていたが、実際やってみるのでは大違い。その責任の大きさを痛感する毎日でした。失敗は1.頭でっかち(理論武装先行)で進んだ面。机上で考えすぎても結局実際にやってみると上手くいかないことも多い。失敗2.僕のスピード感とスタッフのスピード感がマッチしない。経営者は一番危機感を持っているし、多くの情報があるが、それを上手く伝えないとみんなついてこられない。3.新しいことを試みるが本業から離れれば離れるほど失敗した。それを乗り越えたのは、楽天主義、現場回帰、本業回帰、そして自分への信頼でした。
FC2014(中期経営計画)の達成。そして将来的にはインフラ企業(世の中になくてはならない会社)とインフラ商品(未来の定番)を作る事。スタッフが誇りに思える会社を作る事。アジアへの進出。Eコマース市場でナンバーワンになる。郊外型紳士服から脱却して新しいビジネスモデルを作ります。日本中のビジネスパーソンを世界一おしゃれにします。男性服飾市場を拡大することが目標です。
COMPANY
会社概要
企業名 | はるやま商事株式会社 |
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所在地 | 岡山県岡山市北区表町1-2-3 |
業種 | 卸売・小売 |
設立 | 1974年 |
資本金 | 39億9136万円(2011年3月現在、グループ全体) |
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従業員 | 1287名(2011年3月現在) |
事業内容 | 紳士服及びその関連用品の販売を主な内容として事業活動 |
URL | http://www.haruyama.co.jp/ |