株式会社中エネ
加藤 洋平

再エネの普及で
地球を再生する

世の中には、都合のいいことばかり言う人もいれば、賢者のように正直に自分が感じたことを表現していく人もいる。そうした賢者が事業の根本的な考え方からデザインをした中エネ。再エネを普及し、地球の再生を理念としている。

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賢者プロフィール

氏名 加藤 洋平
会社名 株式会社中エネ
出身地 愛知県
出生年 2017年
こだわり 明るく、素直、謙虚に生きる
趣味 読書
特技 人を巻き込むこと
休日の過ごし方 読書
座右の銘 初心忘るべからず
好きな食べ物 いくら
尊敬できる人 元日本代表岡田監督

賢者ヒストリー

  • 幼少期~学生時代

    小学校の時は内気でだらしない子供でした。サッカーをやっていましたが弟より下手だったし、大してうまくはなかったが、母親から継続することの大切さを学び、6年生の時はレギュラーとして出場できました。中学校の時は体育の担任の先生の指導で予定を立て実行することや友達に勉強を教えることで自分の勉強にしてました。だから成績はよかったと思います。サッカー部に入りレギュラーとして出場していたが、弟コンプレックスが強くなってきました。高校はサッカーの強い公立高校に入りまいしたが、まったく試合にでれず、3年生の時は腐っていました。チームが後一勝で全国大会に行ける試合もベンチから負けろと思っていました。この頃は本当に心が荒んだ時期です。弟が高校生になり、○○の兄貴と言われるのが嫌で大学はサッカーをやらない事を決意しました。中学校の頃から勉強に関しては要領がよかったので指定校推薦で大学を決め、バイトと遊びをし続けてよく先生にまわりの事を考えて行動しろ、と言われました。そう言われてもその時の私に聞く耳はありません。蟻とキリギリスだろ、と思っていました。反省です。大学に入り、2年間継続して遊んでいましたが、目標のない生活に苦しくなり、教師になる、という事を決めました。しかし、教員にはなれませんでした。教育実習に行った時に担当教員の授業批判をしました。その際に、実習生が授業批判をしてはいけない、と言われなんて保守的な世界と思い、熱がさめたことと勉強がどうしてもできなかった。就職活動をせず退路を断ったので9月には試験も全部落ちた状態でした。ここで私は留年するという選択もできたが就職を選びました。理由は、とにかく社会にでてみないとわからないと思ったからです。たまたま、就職課にあった補欠募集の案内を見て繊維商社と書いてあり、商社ってかっこいいな、ぐらいの感じでその会社を受け就職できました。

  • 社会人時代

    丹羽幸株式会社という繊維商社に3年間働きました。入社して配属されたのは呉服部門でした。学生と社会人とのギャップに苦しみました。まわりの先輩は文句ばかり言ってやめたいみたいな事を言い、仕事は御用聞き営業と売上を作りたいのに売掛が多くて売ってはいけない所の担当になり、売上を上げたくても会社から止められることがストレスでした。ルート営業なので自分自身の価値が感じられなく、悶々としていました。どうせやるなら新規営業で平日遅くてもいいから自分を売り込めれる会社にいきたい、と思いました。ただ、三年間はやることを決めたので退職したのは入社して3年後でした。株式会社ネクサスという光通信系の会社に入社し7年間働きました。6年はビジネスホンの営業、残りの1年はオール電化太陽光の営業をやりました。その会社は地位とお金で社員のモチベーションをあげる会社で、大量に人を採用し振るいにかけるので、私が入社時の名古屋営業所は30人ぐらいだったのですが、毎日一人ずつ辞めていきました。当時の私の上司は私の年下で仕事自体を舐めていたので、通常、入社して1か月以内で契約を上げることが普通なのに私は1件も契約をとる事ができませんでした。ここで私自身は後1か月で契約が取れなかったらやめよう。その為にときかく努力しようと決まました。そこから私自身の行動が変わりました。営業の研究をするようになりました。契約がとれる人は自分の言いたい事を第三者が言うように伝える。相手が何を求めているかを把握するために、聞き役に徹することに気づきました。それを実行し顧客のニーズをとらえたのもそうかもしれませんが、私の行動が変わったことによりまわりが応援してくれるようになり、全国NO1の数字を3か月連続で達成しました。そこから、2年目には営業4人、アルバイト5人の組織を持ち、3年目にはその2チームを統括する立場を頂き、4年目には関東に転勤、東京と横浜を統括する立場まで行きました。

  • 起業のきっかけとその当時

    商品力アップをまったく考えていない会社で営業トークだけに頼る組織では自然とクレームを誘発し、ビジネスホンの新規営業を廃止し住宅用のオール電化太陽光を売る部隊になりました。そこで私は会社の風土が嫌になったことと社会貢献性の高い商品であれば胸を張ってお客様にすすめると思い起業を決意しました。今の専務と独立をし家賃5万5千円のアパート、FAX、電話機、タウンページと営業力だけで始めました。そんな状態ですから苦しくて苦しくて、ビジネスホンの営業をやった事もあります。しかし、全然心が震えないんですよ。ここで自分自身の方向性を固めました。再生可能エネルギーに関わる事をやる、と決めました。ただ、状況は変わりませんでした。その時に株式会社ネクサスから独立した現状外注業者の井上が一緒に会社をやらないか、と話があり、会社を一緒にする事を決めました。当時は二人代表で事業をしておりました。3人いればもんじゅの知恵じゃないですけど、アルバイトを雇えるようになりました。しかし、状況は3年ぐらいは変わりませんでした。目先の事しか考えてない状況では会社が発展する訳がないのです。その時、ある方から研修塾の誘いを受け、三年後の経営が見えるようになれる、と言われその研修塾に入塾しました。そこで会社の強みは何?何のために経営しているの?等質問攻めに会い必死に行動しながら考えました。個人宅に直接営業する方法から不動産屋と協力して営業するスタイルに徐々に変化させました。そうしたら顧客がマンションオーナーに変化し、売上が増えるようになり事業が安定し始めました。2012年に東日本大震災が起こり、大規模発電所による電力供給システムの終焉とともに再生可能エネルギーを普及させるために政府はFIT制度を開始しました。それにより弊社は不動産屋とのネットワークを活かし、土地を調達し発電所を作る事業に変化したのです。規模が大きくなり、商品をパッケージ化する事により相みつがなくなり、売上規模が増えました。後経営者の覚悟を決めたのが妻の病気でした。妻は死ぬかもしれない状況になったのに、私に対してごめんなさいと言うんです。その時、私はあなたが生きているだけで私は幸せです、と泣きながら伝えました。顧客、社員、協力会社の幸せを追求し自分の生きた証を残すと。

  • 現在の事業において

    再生可能エネルギーを世の中に普及させ、地球を再生する、とい経営ミッションに向かうことで、原発のない世の中にし、大規模電力供給システムではなく、地産地消の電力システムを構築した街づくりを実現する。地球温暖化を止める。以上の事を達成させます。そのために、経営理念である”よろこびの輪をつなぐ”要するに顧客に従順になり、顧客、社員、協力会社のよろこびとは、幸せ、満足なんですが、それを追求することが、事業拡大の目的になっております。よってお客様の声、ライバルの情報、協力会社の声を報告することに注力しております。後は社員教育です。現状を受け入れ、行動を継続する事を大切にしております。そのためには私が背中を見せないといけないので、毎日社員全員にメールで本日の一言を送っております。各部と月1回の飲み会、各課のメンバーと一緒に外部研修に行く。三か月に1回、社員との面接、福島研修等を行っています。

  • 今後の目標

    社員が「株式会社中エネが自分の会社だ」と胸を張って言えるような会社を作っていきたいと思っています。また、経営ミッションを「再生可能エネルギーを世の中に普及させ、地球を再生する」としています。目的を追うことで結果的に収益が上がると思っているので追い続けることをしていきたいと思います。

  • 若者へのメッセージ

    仕事とはお客様に従順になることです。また、兎に角お客様の為に何ができるかということを考えて行動することです。その結果、自分がダメなところが分かって来るので、それを真摯に受け止め日々真剣に生きることに勤めて行けばいいと思います。私も頑張りますので、皆さんも頑張ってください。

会社概要

企業名 株式会社中エネ
所在地 愛知県名古屋市東区東桜1-9-3
ヒシタ会館6F
業種 その他
設立 2007年
資本金 5,000万円(2017年2月現在)
従業員 50名(2017年2月現在)
事業内容 太陽光発電所分譲販売
URL http://www.cs-eco.com/

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