氏名 | 西久保 博信 |
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会社名 | 株式会社リスク・マネージャー |
出身地 | 東京都 |
出生年 | 1943年 |
こだわり | 文武両道 |
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趣味 | 海釣り、カラオケ(小林旭)、 旅行(国内・海外) |
特技 | 柔道八段、詩吟師範、講演(危機管理・警備・防災・護身) |
休日の過ごし方 | 朝寝坊して、運動して汗をかいて、ビールを飲む |
座右の銘 | 「生涯学習○○」 |
好きな食べ物 | 麺類、蕎麦、パスタ、うどん、ラーメン |
尊敬できる人 | 村井順(ALSOK)、飯田亮(SECOM)、高花豊(テイケイ) |
小学校・中学校とも「ガキ大将」でした。私流のガキ大将哲学だが、いつでも10人近くのグループを率いていました。今日は何をして遊ぼうかの決定権をもっていました。遊びが決まると適材適所の役割分担をしました。身体は大きくなかったが度胸とハッタリが強かったです。弱きお助け、強気を挫く正義派でした。チンピラの兄貴分に呼び出されよく殴られました。中学2年生の時弁論大会で「暴力追放」を掲げ準優勝して殴られました。転校生に喧嘩で敗れました。その転校生が柔道をやっていました。不純だが私が柔道を始めるきっかけです。高校時代は柔道漬けの毎日でした。師範の故松川哲男8段は身長163cm、体重68kgと小兵だが1年後輩に長谷川博之氏2年後輩に猪熊功氏、竹内善徳氏を有し、東京教育大学の全盛時代の先鋒を務めた先生で「西久保正しい姿勢の柔道をやれ!」この教えがあって八段になれました。
都立航空工業高校、航空原動機科45人は飛行機狂の集まりでした。3年次に全日空のパイロット試験を受験、心臓肥大と若年性高血圧で落ちました。同期生の半分は航空業界に就職したが、私は東洋熱工業㈱という空調会社を選びました。1年後自衛隊に入隊しました。理由はパイロットの夢は破れたが「リップコード」という「スカイダイバー」のTVドラマを観て習志野の「第一空挺団」を志望したからです。自衛隊に入隊して私の人生は変わりました。6ヶ月間の前期教育(基本教育)で教育団長賞を受賞、適性検査に基づく後期教育(専門教育)でも教育団長賞を受賞しました。東京と埼玉県の境にある朝霞駐屯地内、第124特科大隊に配属されました。私の適性検査結果が「高射算定」と出たことから、レーダーと電子計算機を組み合わせた「スカイスイーパー」という誘導弾一歩手前の高射砲部隊に配属されたのです。入隊2年目の3月、明治大学二部文学部を受験し合格、以後3年間仕事、学業、柔道の1日3本立てを延べ9年間続けることになりました。自衛官3年目「Rangerレンジャー隊員」を志願して10週間の特別訓練を受けたがこの経験は私の人生観を変え、何事にも代えがたい財産となっています。
明治大学政経学部政治学科を卒業した36歳、綜合警備保障㈱の防災課長でした。3月上旬「神戸博覧会」に出向を命ぜられました。昭和45年大阪万博と東京研修所次長の経験を発揮せよとの辞令でした。六甲の山を切り崩した土砂で埋め立てた人工島「六甲アイランド」「ポートアイランド」が舞台です。地理的には三ノ宮市内から橋一本で繋がっています。山口組の怖いお兄さん方と一般観客のトラブルを防ぐのが警備隊の役割です。9月中旬原隊復帰、入社から14年の歳月が流れていました。昇任試験制度のお陰で同期生の誰よりも早く「警備司令(課長職)」となり、恵まれているのに何故か寂しかったです。急激に発展した会社はどこも公官庁から出来上がった人を採用して部長職に据えます。これを「輸入幹部」と称しましたが、我々下からの叩き上げ「生え抜き幹部」との軋轢を超えて大会社となるのだが、私の場合、海のものとも、山のものとも解らない警備業界という荒波に日本第一号の「セキュリティ・トレーニング・コンサルタント(警備・防災教育研究所)」を漕ぎ出すため昭和56年12月30日付け綜合警備保障株式会社を退職しました。
平成5年4月,帝国警備保障㈱退職時、休眠会社にしていた㈱警備防災教育研究所を社名変更、㈱リスク・マネージメントを予定していましたが、「リスク・マネージメント」は公用語になっているから、とのことで断念、アメリカ、ヨーロッパの両大陸に各10万人存在すると言われる「危機管理」「セキュリティ」「損害保険」を統括する役員クラスのマネージャー「リスク・マネージャー」を社名に再スタートしました。名刺交換のたび“何をやる会社か説明が必要でした。「危機管理」という言葉は平成7年1月17日「阪神淡路大震災」、3月20日「東京地下鉄サリン事件」この二つの事件で日本中のマスコミが初めて使って以来定着したのです。契約第1号の「富士ゼロックス」の場合契約書の私の職名は「防災コンサルタント」でした。財政学・会計学に含まれる「リスク・マネージメント」と「危機管理」は同じものですが、ミスター危機管理と呼ばれた佐々淳行氏は国家単位では「危機管理」、企業単位では「リスク・マネージメント」と使い分けされていました。「セキュリティ」と「危機管理」は予防学です。9.11はアメリカでおこった事件ですが、3.11は紛れもなく日本で発生した大災害です。日本人は「予防学」は苦手なのか?否そんな次元で片づけられる問題ではないです。
90%の対応対処であるのが警察消防です。ところが警備会社の業務というのは全く反対の予防にあたる事件事故が起きないようにするためです。セキュリティー会社に頼めば安心だと思っていたら間違いです。欧米ではセキュリティーマネジャーがいてその上にリスクマネージャーがいます。そこに外部から警備会社が入るので重要になります。セキュリティーマネージャーやリスクマネージャーがなぜ育たなかったのか理由が3つあります。1つ目は軍隊がないこと、2つ目は大学にセキュリティー専科や危機管理がないこと、3つ目は警備業界の歴史が浅かったことです。なので自分から企業に売り込めていない人たちを集めて大きな力にしていこうと思っています。
佐藤一斎先生の著書『言志四録』の言葉である「若くして学べばそうにして成すあり、そうにして学べば老いて衰えず。老いて学べばしして朽ちず。」は若い人のみならず歳をとっている人にも当てはまる激励の言葉であると思います。
企業名 | 株式会社リスク・マネージャー |
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所在地 | 東京都新宿区新宿1-18-4 東京蓮見ビル4階 |
業種 | サービス - 警備 |
設立 | 1983年 |
資本金 | 1,500万円(2021年8月現在) |
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従業員 | 85名(2021年8月現在) |
事業内容 | セキュリティー(損失防止)、危機管理(緊急対応力)、専門教育コンサルタント、各種、警備請負 |
URL | http://risk-mng.com/ |