KENJA GLOBAL(賢者グローバル)

和田貿易運送株式会社和田美樹

運命共同体

和田貿易運送株式会社 和田美樹
この映像・情報は 2013年7月 当時のものです

内容

会社の同僚は家族以上に過ごす時間が長い。だからこそその間の信頼関係は重要なものになってくる。共に笑い、泣き、困難を乗り切る。それは、家族でもなく友人でもなく、運命共同体なのだろう。

関連タグ
女性 1980年代生まれ 中部地方の会社 創業 家族

和田貿易運送株式会社

若い世代を中心に運送業界において躍進を続ける和田貿易運送攻めの姿勢を崩さない会社に迫る!

氏名 和田 美樹
会社名 和田貿易運送株式会社
出身地 富山県
出生年 1981年
こだわり 私たちだからこそできることがあると信じて信念を貫くこと
趣味 美容、常に女を意識すること
特技 料理
休日の過ごし方 子どもたちとの時間、休日はいっぱい甘えさせてやります
座右の銘 『女帝』
心に残る本 まだ、出会っていません
尊敬できる人 父、母
現在の仕事の魅力と苦労 仕事の魅力は、やりがいがある仕事だと思います。お客様とお客さまの笑顔の架け橋になれるように頑張っています。苦労といっても、実際にしんどいことや辛いこともたくさんありますが、それ以上の喜びや達成感の方が大きいのであまり苦労と感じません。人との出会いが私にとっては一番の魅力を感じます。
日本を背負う若者へのメッセージ 女の私でも社長になれます。学歴じゃない、経験がものをいう、たくさんの経験をし、それを自分のものにして、どれだけの人から信頼してもらえるかだと思います。あなた達には、底知れぬパワーがあります。あなた達のやる気には日本の未来があります。私も経営者の中では、運送業の中では若いほうですが、若いからこそできることがあります。私はそれを身をもって経験しました。私たちのパワーには無限の可能性があり、その思いに賛同し、支えてくれる人が必ず出てきます。人生は一回しかありません。自分でいれるのは今しかないのです。自分を信じて周りを信じて、思いっきりやってみて下さい。
幼少~学生時代 子どものころは、新湊で育ちました。田舎でなんにもなくて、自然いっぱいのそんな中で祖父と祖母に育ててもらって、わがまま言いたい放題だったような気がします。母は私が4歳のときに離婚をしていたので、顔すら知らなかったです。中学校時代はずいぶんと荒れてしまって、父とばぁちゃんや学校の担任の先生にいっぱい迷惑をかけました。自分の中で、何かが違うってずっと思っていて、何をするのにも反発して家にはほとんどいなかったです。今思えば、自分の子どもがそうなったらどうしよう。という不安がいっぱいですね。でも、学生時代の経験はわたしにとってはかけがえのないものとなっています。中学を卒業してからは高校へ進学するという道は私には一切なくて、ただ仕事がしたかったので自営をやっていた父の手伝いをするようになりました。
社会人時代 社会に出たのは、15~16歳のときです。父との仕事以外にもいろんな仕事をしました。大工、土木関係、ビデオ屋でバイト、バー、塗装業、新聞配達など、16歳でバイクの免許を取得し、自分で通勤していました。いろんな人と出会い、別れて最終的には、父の元に戻り、18歳の時に父と一緒にロシアへ車を輸出する仕事をしました。その会社が和田貿易運送株式会社の原点です。ロシア語を独学で覚え、毎日が楽しかった思いが強いです。その中でも本当にいろんな経験をしました。このころの私はまだまだ子どもで、自分のことで精一杯だったような気がします。まさか自分が運送屋の社長になるなんて夢にも思ってなかったです。なぜなら、私も父も運送業の経験など全くしたことがなかったからです。
起業のきっかけ 和田貿易運送を起業したのは、父が突然「陸送屋やるぞ!」の一言でした。私(当時26歳)と専務(当時21歳)が「えっっ!??」と思ったのを今でも覚えています。父の口グセは「ピンチをチャンスに・・・」でした。その時期にはロシアへの輸出が少し低迷していたのです。自分の会社で買った車を自分たちで引き取りに全国に行っていました。小さなトラック1台でです。ロシアの友達の中で一気に口コミで広がり「ミキが陸送やるならミキにおねがいするよ!」とたくさんの友達が言ってくれて、「これは運送業をやらなければ!!」と思いました。そのときには父は、「若いお前たちがこれからの時代をひっぱていくんだ。」と社長は私だと言いました。私にとっては社長業も会社組織もまったく知らない中、社長に就任しました。今思いおこしてみれば、知らないというものほど強いものはないな、と思います。父は私たちにとって三国志の「諸葛孔明」です。私たちの頭脳となり、常にアドバイスをしてくれます。私たちが方向を見失ったときには、必ず指し示してくれます。ときにはとても厳しく、ときには優しく、私たちは父、会長を尊敬しています。
起業当初 起業し、すぐにロシアの関税が一気に上がり輸出がまったく動かなくなったのです。一番最悪なときに起業してしまったのです。その当時は社員は友達の何人しかおらず、このままではいけないとみんなで一斉に富山県内のカーショップ様やディーラー様に営業をしました。みんな必死です。だって営業なんかもしたことない人しかいません。ノウハウなんかあるわけない、それでも、自分たちの思いを伝えて仕事をしたいという思いだけで毎日必死でした。日々、1件2件と新規のお客様ができてきて、あっという間に広がりました。私たちはいろんなことを勉強しました。これからの世の中の動きや業界の動き、常にアンテナを張っていました。たった5年でトラックの保有台数が18台になりました。でも、やはりこんなに急成長したなら逆恨みもあります。トラック4台の給油タンクに砂糖を入れられるという嫌がらせも受けました。でも私たちは笑いました。「それだけ有名になったってことだね~」って、東北の震災では、トラック1台が津波で流されたり、いろんなことがありました。ですが、どんなにしんどくても、みんなの笑顔がいつもそこにはあったのです。忙しくなる中、母は東京に住んでいたので、富山に戻ってきてほしい、私を助けてほしいとお願いしたところ、一つ返事で戻ってきてくれました。父と離婚して23年の歳月がたっていたのですが、なんと再婚したのです。23年の歳月がたって、初めて母のありがたみを知ることになりました。この仕事のおかげです。
今後の目標 直近の目標としては、各県に営業所を置きたいです。そしてこれからも、どんどん会社を大きくして私たちが生涯賭けてやってきたという証を残したいですね。現在高校に通っていて、しっかり卒業をし大学進学も視野に入れて勉学に励んでいます。個人的には、21歳でハーレーに乗ったのですが、今は乗ってないので、また乗りたいですね。会社の子たちとツーリングに行きたいです。
企業名 和田貿易運送株式会社
所在地 長野県射水市白石953-1
業種 運輸
サービス - 専門サービス
設立 2007年
資本金 1000万円(2013年7月現在)
従業員 24名(2013年7月現在)
事業内容 陸送業、全国のオークション会場や業者様 個人様から車の輸送
URL http://wadabouekiunso.com/