株式会社公詢社
吉田 長二

葬祭業者だからできることがある

「一球入魂」野球一筋の青春時代を過ごした賢者。 妻と子どもを養うため、30歳で入った葬祭業。 初めて遺体に接した時は怖くて夜も眠れなかった。 それでも生活のため、歯を食いしばって働いていた。 生活が軌道に乗ってきた矢先、阪神・淡路大震災が発生。 命を絶たれた方々に、葬祭業者だからできることがあると、賢者は気づきはじめる。

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賢者プロフィール

氏名 吉田 長二
会社名 株式会社公詢社
出身地 兵庫県
出生年 1955年
こだわり 悪いことは悪いと言う。人の役に立つ。
趣味 映画、音楽、読書、スポーツ観戦
休日の過ごし方 ゴルフ
座右の銘 あるがままに
好きな食べ物 肉じゃが
尊敬できる人

賢者ヒストリー

  • 幼少期~学生時代

    小学校に入学する前に両親が離婚をしました。母との最後の思い出は 小学校1年の遠足でした 。
    その後は姉二人と父の4人家族になり、その頃はどこの家庭も貧しく、裕福な子はクラスでも数人でしたが、私は貧乏であることは気になりませんでした。小学2年生になると野球を始めることになり、熱中し、殆ど外でボールを追いかけていた気がします。小学5年生になると少年野球の入部テストがあったのですが、いの一番に合格を貰えたときは本当にうれしかったです。初めての試合で、ネットの後ろから自転車にまたがって見に来てくれた親父の姿が今でも記憶にあります。また、友達が近所の柔道教室に通っていたので、「自分もいきたい」と父に言った際に「野球と柔道どっちがやりたいんや」と怒られました。しかしその翌日に、私の枕元には新品のグローブが置かれていました。それを機には野球一筋となり、中学、高校と過ごしました。野球をしていて本当によかったです。何よりも挨拶と敬語を厳しく教えられましたが、特に部活で教わったことは、社会に出た後でも役に立っていると感じます。私は、学校での勉強はできませんでしたが、勉強よりもっと大切なことを学んだなと思えたからです。
    今の時代とは違いますが、先輩の体罰にも耐えれたのは仲間がいたからこそ。その頃のチームメイトとは今でも仲良しです。同じ釜の飯を食った仲だからですね。幼少期や学生時代の思い出は全て野球になります。その為、男子校だったのもありますが女性と話すだけで顔が真っ赤になるほど純情でした。

  • 社会人時代

    就職も野球で入社したようなものでした。阪神電鉄甲子園で野球ができるのが志望動機で、 研修を終えて配属が決まると同時に野球部に入部後、即練習、試合でした。仕事より先に野球をしてました。仕事に関しても勤務抜きという特別待遇を受けていたせいか、私は仕事はできませんでした。同期の連中とは随分差をつけられ、社会人野球で活躍することもでき充実した日を過ごしていましたが、6年目に当時の監督が辞めることになったのです。 私を育ててくれた恩人の辞任でやる気を無くし、仕事まで嫌になってしまったこともあります。別にやりたいことがあったわけではなかったですが、 それから数ヵ月後私も退職しました。夢も希望も特にないまま状況で、私は暫くはバイトをしていました。友達だけは沢山いたので寂しくはありませんでした。この仕事に就いたのは離婚した母が導いてくれたと思ってます。それまではトラックの運転手や鉄板焼き、喫茶店などいろんな仕事をしました。 カラオケの集金までやったことがあります。そんな矢先、同棲していた家内に子供が出来、急遽結婚することとなりました。今でいう出来ちゃった婚、それを機に今の会社に入社することになりました。それまでは葬儀の業界自体全く関心はありませんでした。はじめてご遺体と接した時は怖くなってしまい、夜も眠れませんでした。ただ、生活のため歯を食いしばるしかありませんでした。入社しても、何度か辞めようと思ったことはあります。誰にも打ち明けることもできないぐらい怖かったです。霊とか魂とかの話が本当に苦手でしたが、今はすっかりその恐怖はありませんね。

  • 社長就任のきっかけとその当時

    1985年の9月に入社しました。3ヵ月間の研修を終え、12月に正社員に雇用されました。
    その年は阪神タイガースが日本一になった年です。その後12年目に社長に就任することになりました。私は42歳でした。就任するには若く、早かったので周りからは「公詢社は大丈夫か」と業界でも囁かれていたそうです。しかし、 大きな社葬は殆ど私が担当していましたし、就任に至ったのは常務時代の仕事の功績も認められていたからだと思っています。知事や市長が亡くなると私が指名されるほどでした。自分では自らの仕事で築き上げたと今でも思っています。この時代が私を大きく成長させてくれました。阪神淡路大震災のあと、 オーナー社長が副社長のポストを用意してくれました。 私は次の社長を育てるのが狙いだったと記憶しています。当時常務取締役だった私は兵庫支社を任されていたのですが、震災直後は本社に異動になりました。当時、互助会対策を考えていた私は、何とか弊社の会員制度を創らなければ。という中、部下3名と本社に異動、その後アイシステムと言う会員制度をを立ち上げました。当時の社員と会員獲得に動きましたが、うまくはいきませんでしたが、それでもコツコツと動き続けた結果、現在では会員数約1000人にまでなりました。副社長のポストには専務が就きました。1年後、その副社長が社長に就任されましたが、震災の影響もあり会社の業績は良くはありませんでした。新社長も打つ手がなく、ふんぞり返っていたことが会長の耳にも入ったようでした。その9ヵ月後オーナーである会長から突然「社長をやってほしい」と直接言われました。41歳で就任は若すぎると思い、私は断りました。 二度三度断っても会長は折れなかったです。それでも再度、依頼されたので、再建案を作成して会長に提出をしました。この計画であれば会社を再建できると思っていたので、私はやむを得ず「私より上の役員さんが全員辞めるのなら引き受けます」と伝えました。流石に会長は驚き、「しばらく時間をくれ」と言われました。数日経ち、あきらめてくれたのだと思っていましたが違いました。なんと、条件を飲むと言ってくださったのです。ただ、直ぐに全員解雇はできないので1年待ってほしいとのことでした。社長就任をし各寺院や施設、県庁、市役所、企業とを回った。その時声をかけてもらったのが「先代から聞いてたよ、やっと世代交代やな!頑張ってください!」と言うものでした。オーナー会長が根回しをしてくれていたのです。口数は少ない人だったが、社長らしい人だったと思っています。

  • 今後の目標

    一人でもおおくのプロフェッショナルを育てたいです。そして悲しみを持った人たちの役に立ちたいと思っています。父にもよく言われた言葉があります。「人の役に立てる人間になれ」この仕事に携わる人に伝えたい言葉です。

  • 日本を背負う若者へのメッセージ

    頭の中で考えることも大事ですが、まずは行動を起こしてください。計画ばかり立てず行動してもらいたい。失敗を恐れずにやってほしいです。今年になり、2組が結婚しました。早く子供を作って家族を持ってください。子供を育てるには親は人一倍働くものです。子供の成長が自分の成長です。お金をためて、家を買って等とか計画はいいんです。自分を追い込むことで、パワーは生まれます。

会社概要

企業名 株式会社公詢社
所在地 兵庫県神戸市兵庫区西宮内町2-18
業種 その他
設立 1940年
資本金 40,000,000円
従業員 40人
事業内容 葬儀
URL https://www.kohjun.co.jp

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