氏名 | 島田 雅胤 |
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会社名 | 医療法人わかすぎ歯科クリニック |
出身地 | 福井県 |
出生年 | 1964年 |
こだわり | 自分に出された食べ物はできるだけ残さないこと |
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趣味 | 読書・旅行・犬と散歩 |
特技 | 辛くても笑って乗り越えること |
休日の過ごし方 | 犬と散歩 |
座右の銘 | 一隅を照らす、これ則ち国宝なり |
好きな食べ物 | パイナップル・トマト |
尊敬できる人 | 父と母 |
私は幼い頃左足が少し不自由でいろいろ辛い思いをしてきて、小5の時に手術を受けました。その時から医者という職業に憧れを持ちました。中高時代はあまり勉強に身が入りませんでしたが、高3の時に「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」という本に出会い、医師になりたいという思いがより一層強くなりました。その後、勉強に励みましたが、三浪して結局果たせず、東京歯科大学へ入学。考えてみると挫折の多い学生時代を過ごしていました。しかし立派な両親のおかげかいじけることもなく、また劣等感をそれほど感じることなく、ある意味では天真爛漫な気持ちで生活していたと思います。しかし今振り返るとそう感じるだけでその時その時では人に言えないような辛い思いをしたこともあります。例えば、体育の時間が来るのがとてもいやでした。そして終わるとホッとしていました。悲しい話しですが、みんなにとっては1番楽しいかもしれない体育がとてもいやだったのです。また野球など走ることが必要な競技のときは私が入るとやはりいやがられましたね。それはまあ今思えば仕方がないことかもしれませんが子供心に傷ついてはいました。でもいま私があるのはその時の経験もあったおかげだと思うのでまた感謝をしなければいけないのだと思います。
大学卒業時、就職するか口腔外科に残るか迷った時期がありました。実際教授から口腔外科に残らないかと誘いもあり、父にも相談したところ、「1年だけか?」と聞かれました。今までは自分の自由にさせてもらっていたが、初めての制御に驚き、考えた末、結果就職を選びました。その時、恩師に紹介された医院に就職をしました。当時は研修医制度がなかったこともあり、恩師の期待に応えることが出来ず、浜松の歯科医院に勤めることになりました。浜松は気候も良く楽しく勤務医として働いていましたが、その時に母親に言われたことがあります。「浜松は気候もいいでしょ。お前は長男だけど、そのまま浜松にのこってもいいんだよ」母親のやさしさに触れ、むしろ地元に帰らなければいけないという決意をし、また長男としての考えもあり結婚を機に地元の福井に戻ることになりました。福井に戻ったときは福井市内で一番患者さんが多いといわれる歯科医院で勤め始めました。
勤務医時の給与は歩合制で、尚且つ地方のため歩合は低いのと、年とともに無理はできなくなるので将来的に不安を感じていました。その中で勤務医として働いていくうちに、勤務医時代の苦い経験から、優秀な歯科医師を養成する歯科医院を作りたいと夢を抱きました。福井で勤務医として働き、三年たった頃この地で開業を決意しましたが、違うところで開業していた先生が、私が予定している場所の近くで新たに開業をするということで歯科医師会に手続きをしていました。しかし、私は自分がこうと決めたら引かないタイプなのでこの地を借りるために大変な苦労をしたので絶対にここで開業するつもりでした。しかし父親から「なあ、おまえ、この場所からその先生の予定地が見えるぞ。その先生がなぜ引っ越しまでして開業しなおすのかはわからないが、おそらく前の土地でうまくいかなくなったからだと思う。おまえはやりたいようにやればいいかもしれない。おまえは頑張ってその人に勝つかもしれない。でも、それでその人またやめさせて、それがおまえの人生なのか。」父からそう言われたとき、だれにも邪魔させないという不退転の気持ちがガラガラと崩れ、この場所での開業をやめようと決めたのです。しかしその後、開業を予定していた先生が病気になり亡くなったため、私はこの現在の地で開業できたのです。
現在歯科医院のほかに、介護施設(リハビリ型デイサービス・放課後等デイサービス)を経営していますが、歯科医院に対しては予防と、健康な人も喜んできてくれる歯科医院・20.30年後も将来を見据えた治療を目指していて、デイサービスは自分で歩くこと食べること、そして笑顔で生きること、両方とも患者様・利用者様を幸せにする、そして私たち自身も幸せになるという理念をもとに事業を行っています。また私たちのところへ今まで来てくださって、ここまで繁栄させていただいたことに対して感謝の気持ちで会社名 「ありがとう」として地域のためにすこしでもお役に立ちたいという思いから歯科と同じように設備なども最高のものを用意しましてスタッフの笑顔とともに笑顔でしあわせな人生をおくれるようにお手伝いをさせていただくという気持ちでさせてもらっています。
障害を持った子供たちが将来親に頼らなくてもすむように、自立できる施設を作りたいという夢はありますが、その前に、自分の著書の「これからの日本をつくる本」(幻冬舎)に書いたように、福井や日本が少しでも良くなるように小さなことでもできることは進めていきたい。福井の足羽川の堤防沿いに坂本龍馬が福井の地を去るときに詠った歌があるのです。「君がため 捨つる命は惜しまねど 心にかかる 国の行く末」これは現代にもあてはまることです。この時坂本龍馬は志半ばで命を絶たれることは覚悟していたのだと思います。僕は龍馬のような高い志を持つ政治家や若者が現れ日本を大きく変えていける人が早く出ることを望んでいます。そのため自分ができることはしていくのが目標です。そしてでる人がいなければそれまでのつなぎやくとしてでなければならないかなと感じてもいます。しかし、私がでるときは日本がハイパーインフレーションになったときなどや福井の原発が爆発するなど福井が本当に最悪な事態になったときなので私自身はそうならないことを願っています。
日本は素晴らしい国だと思う、なぜなら自由もあり、やろうと思えば何でもできる。だけどこれからの君たちは私たちの時代よりももっと責任が大きいと思う(高齢者を支えるため)裏を返せば、君たち一人ひとりが大切な存在ということだ。70年前の多くの若者は、日本のために命を捧げた。その結果日本は貧しかったが、私たちの父親世代が努力して築き上げてくれたから今の素晴らしい社会がある。今の若者たちは私たちより素直な世代だと思う。その素直さをもって、私たちを踏み台にして日本のため、世界のために活躍することを望んでいます。
企業名 | 医療法人わかすぎ歯科クリニック |
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所在地 | 福井県福井市若杉4丁目813番地 |
業種 | 医療・福祉 - 医療 |
医療・福祉 - 福祉・介護 | |
設立 | 1997年 |
従業員 | 47名 |
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事業内容 | 歯科医療及び、介護福祉におけるリハビリ型デイサービス・障害児のための放課後等デイサービス |
URL | http://www.wakasugi-shika.or.jp/ |